今月もダラズFM 79.8mhz で賑やかにトークをしてきました。
『Lunch Break Café(ランチブレイクカフェ)』内の、
「ダブルケアな私たち」というコーナーに出演しています。
毎月第3月曜 1230~1245
今月のテーマは 『しつけ』 北海道の児童の置き去り事件に寄せておしゃべりしました。
皆様の記憶に残っていますか?
北海道の山中にお子さんをしつけのつもりで置きざりにしてしまった事件。
熊にも襲われずに、無事に見つかってよかったですね。
皆様はどのようにおこさんにしつけをされましたか?
また、幼少期にどんなしつけを受けましたか?
加減って難しいですよね。
分からしめるために、置いてきぼりにしたり、締めだしたり、閉じ込めたり。
報道に出る事件はほんの一部だと思います。
一つ間違えば生命を脅かしてしまう。
私の父は非常に厳しかったんです。
マナーが悪いと手を上げられたりもしましたし、
自転車が上手に乗れないからと、私ではなくお気に入りの自転車を倉庫に入れられてしまい、
カギを掛けられてしまうこともありましたね。
その時の記憶、鮮明に覚えていますよ。
日頃の父親には感謝していますけど、怖いしつけ、お仕置きについては全く感謝していません。
親の期待というかな、それが何となくあって、
「良い子でいないと」という、第一子特有の性格が作られたような気がします。
父の日が過ぎたばかりですから、これくらいにしておきます(笑)
しつけについて、子育てを終えそうな私にとっては今更なことですが・・・、
調べてみました。
「しつけ」とは、人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など
慣習に合った立ち振る舞いができるように、訓練すること。
また、
裁縫で縫い目が狂わないように、仮にざっと縫い付けておくこと。
元京大教授で幼児発達の研究者、岡本夏木先生がいらっしゃいました。
その先生の著書に「しつけ」について書かれているものがあります。
岡本先生は「しつけ」について、
『一般的に書かれる漢字の「へんを「身」、
つくりを「美」」の意味(礼儀作法が備えること)よりも、
「裁縫のしつけ」を背景とする意味の方が、
子どもをしつける過程の本質をよく表現しているのではないか』とお話されています。
家庭科の授業で、裁縫の時に「しつけ」という言葉を教わったことを
覚えていらっしゃいますか?
「仮縫い」とか「しつけ糸」とかいう言葉がありましたよね。
「しつけ」とは着物のカタチが整うよう、仮に縫い付けておくことを言いますが、
そこで大切なのは、着物がやがて縫いあがると、しつけの糸が外されるという事です。
着物の完成をもって、そのしつけの糸はそこにあってはいけないものになるのです。
「しつけ」をいつまで続けるかと言うのは、
その家庭やお子さんのキャラクター、宗教上のこと、判断はまちまちです。
先生は小学校低学年くらいから、この「しつけ糸を外し始める時期にあたる」と
書かれています。
幼児期は大人が外側から枠組みを与えて、
子どもに行為や生活習慣をカタチ作らせていくのですが、
小学校低学年くらいからはその枠組みを外して
子どもが自分の力でみずからの行為や生活習慣を生み出し始める時期に入ってきます。
しつけ糸を外すという事は、子どもを自分の自律に委ねることです。
しつけとは、もともと自律に向けてのしつけなのです。
外からの強制によって社会のきまりをあてがうよりも、
むしろそうした外的強制を取り外すことを目指すものです。
「しつけが不要になるようにしつける」ということです。
奥が深いですね。
我が家では昨夜も高校生の娘とバトルがあったのですよ。
食卓に食べたまんまの食器を娘は置いていった。
そこで、
「食器をシンクまで運ばないとお皿を洗わないし、ごはんも作らないからね」と
私は感情的に言い放つ。
バトルじゃないですね、一方的に私が吹っかけている。
先程の岡本先生の解釈からすると、「チーン」ですね。
「しつけが不要になるようにしつけられなかった」ということです。
小さなお子さんを育てていらっしゃるご家庭の方、
「しつけ」と「お仕置き」は違うのですよ。
「しつけ」はご自分のお子様が世の中に出て、力強く生きていくための礎なんですよ。
大人の体裁のために調教するものでもないのです。
力を抜いてね、周りの大人の力も借りながら、
子ども自身が自分を律することのできるよう、育てていきましょうよ。
家庭だけで抱え込む必要はないのだから。
来月第3月曜日、ダラズFM 79.8mhz 12:30-12:45
『Lunch Break Café』内の「ダブルケアな私たち」のコーナーでお会いしましょう♪